【1本の電話から負債130億の企業の社長に】 1千人の雇用を守り再生させた その道のりとは
株式会社ウィルソリューションズの徳田充宏代表は40歳のとき、北海道に本社を置く従業員約1100人の臨床検査会社の再生に携わった。
年商80億円に対し、抱える負債は130億円。破綻寸前の状態でオーナーから再建を託されて社長となり、瀕死の組織の患部を探り、メスを入れ、回復させた。
「企業再生はまさに総合医療」と表現する徳田代表に、その道のりを聞いた。
放漫経営で決算を粉飾、債務が肥大
再建に取り組んだのはどんな会社ですか?
▼徳田代表
血液検査の診断などを行う臨床検査事業で道内トップシェアの会社でした。
国内38か所に検査施設を設けて、北海道を中心に全国約3000医療機関の検査を受託していました。
グループ全体の従業員数は約1100人という結構な規模の会社です。
その会社に関わるきっかけは?
▼徳田代表
北海道大学を出て第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入って最初に赴任した札幌支店で新規に開拓した会社でした。
伸び盛りの元気の良い会社で、何よりオーナーが魅力的でした。
営業力が秀でていて、一臨床検査技師から事業を拡大してきたカリスマ性がありました。
私が銀行から外資系コンサルに転職してからも、北海道への出張時にお会いしたり、時々電話をいただいたりしていましたが、2009年3月に突然、「ちょっと経営でご相談したいことが」と電話で切りだされたのです。
資金繰りが厳しくて近々メーンバンクの副支店長が訪ねてくると。
当時の私は現在の経営コンサルと基幹システムのサービス会社を起業して忙しかったので、助言をしていったん終えたのですが、様子が気になってかけ直しました。
「もう大変でして」という気落ちした声が気になり、翌日札幌に飛びました。
1人で作成したデューデリと再生計画
事情を聞いてわかったことは?
▼徳田代表
資金不足を補うために長年重ねた粉飾決算による債務超過です。
年商80億円に対して有利子負債が130億円に上っていました。
年間のキャッシュフローが-2億円で、銀行やリース会社への返済が27億円、つまり年間29億円のキャッシュが足らない状態を数年にわたって続けていたのです。
決算書の改ざんで銀行をごまかして融資を受け続けて、いよいよ行き詰ってしまった。
「ここまで来たらすべて明かさないとダメですよ」とオーナーに話して、取引金融機関13行を一緒に回って粉飾を謝罪しました。
銀行側の反応は?
▼徳田代表
どの銀行でもビックリした表情の後にため息ですよね。
とにかく早急にデューデリジェンス(財務査定)をし、報告してくれと。
それから経営コンサルとして関わることになり、一人で財務状態や事業収益性を調べ上げました。
見えてきたのは放漫経営の実態です。
採算を考えずに検査受託の全国シェア獲得で沖縄にも検査施設を設けるなどの過剰な設備投資。
適正な在庫管理をしていない。
ゴルフ場や日本酒醸造所など計画なき多角化などです。
コストは相当落とせるだろうと思う一方、本業は堅調で伸びしろのあることもわかりました。
4月には財務状況をつまびらかにしたデューデリをまとめ、翌5月には業績改善に向けた事業計画を示し、借入金返済のリスケジュールを各行に要請する事業再生計画をまとめて、全行を集めたバンクミーティングで説明しました。
その報告書は400ページ余りに及びました。
銀行側が内部検討上どういう資料を必要とし、こうした局面ではどこに落としどころを求めるか、銀行員の経験からそのポイントがわかるのが私の強みです。
戦略系コンサルファームで、財務から経営戦略、業務・組織改革まで取り組んだ経験と、その引き出しの多さが、ここで活かされたと思っています。
社長に就任、再建3か月で黒字に
コンサルタントとして再生計画をつくり、社長になったのはその後ですか?
▼徳田代表
そうです。
ワンマン経営のファミリー企業だったので社内に経営を引き継げる人材がいませんでした。
オーナーや銀行側からの要請もあってターンアラウンドマネジャー(再生請負人)として2009年6月に社長に就きました。
再生計画は、当初銀行側は絵にかいた餅だと思っていたでしょうが、それまで毎月2億円を超える赤字だったキャッシュフローが、7月には+約5000万円になり、バンクミーティングで報告しました。
以後、毎月1億円前後、結果的に年間で約13億円の利益を出しました。
金融機関対策で重要なのはクイックウィンです。
短期で業績改善の成果を見せること。
長引くほど信用を失うからです。
私はどんな案件も3か月を目安に、目に見える結果を出すことを目標にしています。
具体的な業績改善の取り組みを教えてください?
▼徳田代表
まずは徹底した在庫管理です。
検査試薬などの消耗品類が1万アイテム以上あり、かつ全国百数十か所の検査施設や病院内の出張所がばらばらに発注していました。
そこで発注を抑制し、品目ごとにサービスの質を落とさない適正在庫を調べるために、クラウドの管理システムを導入し、購買の予実算管理を徹底的にやりました。
仕事のやり方を変えたがらない社員もいますから、約20人いた部門責任者には逐一指導しました。
「在庫データが入っていないよ」と、トップが常に見ていることを意識させるために電話をかけていました。
3か月もすると徹底されて適正在庫もわかるようになり、最終的に購買費は対前年比で約5億円減りました。
検査施設の統廃合やゴルフ場経営など本業以外の事業も売却しましたが、従業員はリストラしませんでした。
雇用を守ることが再建の目的の一つでしたから。
元銀行員だからできた債務カット交渉
再建1年目は順調に進んだようですね?
▼徳田代表
月に約1億円の利益が出るようになってPL(損益計算書)上は一気に改善できましたが、問題はバランスシート(貸借対照表)です。
不良資産の売却などで約10億円減らしましたが、まだ120億円近い負債が残ったままです。
臨床検査事業は大規模で高度な検査機器を必要とします。
過去10年ほど、ほとんど設備投資をしていなかったので故障が相次ぎ、業務が維持できるか不安でした。
どの銀行も返済猶予や金利引き下げには応じてくれましたが、設備投資のためとはいえ、新規の融資は望めないし、自己資金で投資できる余裕はない。
病院から預かる検体は夜間に検査し、翌日配送します。
検査機器が故障してラインが止まると従業員の残業代がかさみ、サービス低下で顧客も失いかねない状況に、2年目になって直面しました。
今後を考えて全施設の機器の状態を精査したら、補修や取り換え費用に10億円かかることがわかったのです。
膨大な金額ですね?
▼徳田代表
これでは先が見えないので、各銀行に債務カットを求めることにしました。
といっても、銀行が債務カットに応じないのはわかっていますから、同時にスポンサー探しを始めました。
PL上は改善して魅力的な会社になっているし、北海道では臨床検査のシェアトップ企業です。
エリア戦略的にほしいのではないかと、業界2位で道内2番手のライバル社に話をもちかけました。
交渉はどうなりましたか?
▼徳田代表
債務を3分の2カットしたら応じるという条件が提示されました。
負債は116億円になっていたので、銀行側が76億円債務カットすれば、残り40億円は払ってもいいと。
このプリパッケージをもって銀行側と交渉しました。
これほど多額かつ粉飾決算がからむ私的整理は難易度が極めて高いので、企業再生支援機構に銀行間の調整を依頼しました。
私的整理は全行同意でないと成立しないので、これをしくじるとスポンサーも離れて破産しかねません。
最悪の場合に備えて、同時に会社更生法の申請も平行で行っていました。
これは、もし企業再生支援機構の調整が不調におわった場合、信用不安からの破産を可否するための苦肉の策でした。
企業再生支援機構による最終調整の局面で、13行のうちの大手都銀1行が、「粉飾決算した会社の債務カットには応じない」と頑として反対しました。
が、最終的には企業再生支援機構のお力添えで、全行同意を得ることができました。
この全行同意が取れたのは忘れもしない2011年3月10日。東日本大震災の前日でした。
もし1日遅れたらていたらと思うと、背筋がゾッとします。
約76億円の債権放棄が決まり、スポンサー企業に経営権を譲渡して翌月、従業員を一人も切ることなく、新設会社として再スタートできました。
伝え聞くところによると、今では同業界で北海道ダントツのNo1の高収益企業として活躍しているとのことです。
経営者として企業を再生させたコンサルティング
この企業再生の経験で得たことは何ですか?
▼徳田代表
自信ですね。
客観的に経営のアドバイスをするサラリーマンコンサルとしてではなく、千人規模の会社の社長として再建した。
このダイナミックな経験から得られた自信は大きかったです。
「コンサルタントは助言するだけで経営の責任がないから」と時々言われますが、私は違います。
経営者の立場や気持ちがわかったうえで取り組みますよと言えます。
私は会社の立て直しは「総合医療」だと思っています。
人間ドックにあたるデューデリをし、治療方針を決め、ダブついたコストや不良資産の患部を切る外科手術、社員の働き方や意識を変える内科治療も必要で、それを一気にやるか順を追ってやるかを患者(企業)の状態から判断する。
私はどちらかというと器用貧乏なほうで、何事も薄く広くの人間なんです。
でも、その性分が企業再生のプロセスで力になったと思います。
財務がわかり、金融機関と交渉でき、経営やシステム戦略、業務・組織改革もやれますよという「総合力」が自負できる点です。
<プロフィール>
株式会社ウィルソリューションズ代表
徳田充宏(とくだ・みつひろ)
1968年生まれ。北海道大学法学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)で約7年間、融資・法人営業を務めた後、外資系コンサルティング会社のアーサーアンダーセンを経て、伊藤忠商事グループのコンサルティング会社の設立に参加。戦略系コンサルティンググループ事業統括部長として、経営戦略の立案、業務改革、組織設計、人事・報酬制度の策定、システム構想の立案などに携わる。
2008年、経営や企業再生、IT関連のコンサルティング業務を行う株式会社ウィルソリューションズを設立。そのほか、基幹システム及びPOSシステムのクラウドサービス事業を展開する株式会社オペレーティング・パートナーズの社長も務め、ミャンマーで日本人を顧客にした「ホテル51」も経営する。
止(斉藤)